|
本日の礼拝説教要旨
「生きた信仰」 申命記8:4-6
使徒1:1-11 鎌野 善三師
弟子たちでさえ、主が復活されたと信じるのは難しいことでした。しかしその弟子たちが、地の果てにまで「キリストこそ救い主である」と宣べ伝えることができるほどの「生きた信仰」をもつようになった経緯が、「使徒の働き」の冒頭に記されています。
一、復活を信じる
主は、40日にわたって「数多くの確かな証拠をもって、ご自分が生きていることを」弟子たちに示されました。もしそうでなければ、だれ一人として主の復活を信じることはできなかったでしょう。その結果、彼らは「復活の証人」となりました。単純に見たままを伝え、また書き記しました。「偽証してはならない」と命じられているがゆえに、どんなに迫害されても自分が目撃したことを「うそだ」と言うことができなかったのです。それこそが生きた信仰に他なりません。
二、昇天を信じる
しかし40日後、主は昇天されました。弟子たちは、主イエスが目に見える姿でずっと共にいて欲しいと願っていたでしょう。しかしそれでは彼らは地の果てにまで出て行かず、主が地上の王となることを求めるだけとなります。主イエスは神なのですから、本来は目に見えず、永遠性と遍在性をもたれるお方です。昇天は、主が本来の姿に戻られることだったのです。それ以降今に至るまで、主は父なる神の右に座られて、歴史を支配しておられることを銘記しましょう。
三、聖霊を信じる
昇天後、弟子たちは10日間、皆で一緒に祈りました。肉眼で主を見ることができなくなったゆえに、彼らは寂しさを感じていたと思われます。しかしこの間に、「父の約束」であり、また主イエスも約束された「聖霊」なるお方について深く考えたのです。聖霊は、主イエスが地上を去られたゆえに与えられるお方です。肉眼で見えなくても、常に共にいて下さり、主の臨在を証ししてくださるお方です。さらに、主が将来、再びおいで下さるとは、何と嬉しいことでしょうか。
復活、昇天を信じた人々は、弟子たちのように、聖霊がおいで下さるとの約束も信じることができます。今、単純にこの三つのことを信じましょう。そのとき、私たちの信仰は生きたものになるのです。
|