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本日の礼拝説教要旨
「神の国の教え」詩篇37:8-11 マタイ5:1-10 鎌野 善三師
イエス・キリストが神の子であることを示すしるしは、奇跡だけではありません。その教えも人間の知恵をはるかに越えています。「山上の垂訓」として有名な今日の個所には、人間の国ではなく、神の国では何が幸福なのかが、明確に語られています。
一、物質では得られない幸福
貧しい者、悲しむ者、飢え渇いている者は、人間の世界では不幸な人々でしょう。しかし主が言われるのは、神との関係においてのことなのです。神の前に自分が破産状態であることを認め、義とされることを求める人こそが幸いであり、そういう人が柔和な者(へり下った者)なのです。彼らは神との交わりを求め、神もそれに応えて彼らを満たしてくださいます。これこそ、物質がどんなに豊かであっても得ることができない、神の国における幸福なのです。
二、権力では得られない幸福
当時の権力者は、あわれみとか心のきよさなどを求めようとは考えもしませんでした。しかし、武力で人を屈服させて得られた権力は、いずれまた、武力で滅ぼされます。主は、他人をあわれむ者こそ神からあわれまれ、心のきよい者こそ神を見て生きていける、と仰せられたのです。そういう人々は、戦争ではなく平和を造り出します。旧約の預言者はそのような人々でした。彼らは、権力者にののしられ、迫害されてきましたが、神の国は彼らのものでした。
三、天の御国でしか得られない幸福
地上の国においては、富と権力を得ている人々が幸福だと思われています。しかし、天の御国では全く違っています。富や権力を持たない人こそ、本当の幸福を得ることができるのです。彼らは神と親しい関係になることを喜びます。そして神がご覧になるように、他の人々を見るようになります。神を父親のように信頼し、他の人々を兄弟姉妹のように愛するようになるのです。それが実現するなら、たといこの地上であっても、「天の御国」になることを知って下さい。
主イエスの教えには権威がありました。その教えを受け入れて実行するなら、天の御国は部分的であっても実現します。「御国を来たらせ給え」と祈る人々に、天の御国は近づいているのです。
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