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沢村五郎著『聖書人物伝』より抜粋 アブラハムは、すべての信じる者の父とたたえられている(ローマ4章)。彼は理想的な信者であった。その生涯は信仰生活の典型と言うことができよう。これによって私たちは、信仰生活とはどんなものであるかを学ぶことができる。 信仰と忍耐 アブラハムには多くの祝福の約束が与えられた。しかしそれはすべてその子孫に関するものであって、そのあとつぎにかかっていた。ところが妻サラはうまずめであって、子どもがうまれない。主はアブラハムの信仰を励まそうと、ある夜彼を外に連れ出して、「天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみなさい。…あなたの子孫はあのようになるでしょう」と言われた。無からこの大宇宙を創造された主は、うまずめの胎を開くことがおできになるに違いない。「アブラムは主を信じた。主はこれを彼の義と認められた」(創世15章)。 けれども、待てど暮らせどその答えは現れない。彼が試みられたのはその時である。彼はサラの勧めを受け入れて、エジプトの女ハガルによってイシマエルを生んだ。これは彼の大失策であって、そのために家庭は乱れ、生まれた子の子孫はいまだにユダヤ人と争っている。 彼は子孫に関する約束の成就のために、ただ信仰の忍耐をもって待ち望むべきであった。それから13年間、彼は神との交わりを失い、創世記16章の終わりと17章の初めとの間には、記録のない空虚な暗黒の生涯を過ごしたものと思われる。 こうして、彼の肉の力が全く尽き果てた99歳の時、主はもう一度彼を顧みて、全能全備の神としてご自身を啓示された(17章)。彼の信仰はもう一度回復されて、本筋の信仰生活にはいった。 「彼は望み得ないのに、なおも望みつつ信じた。…すなわち、およそ百歳になって、彼自身のからだが死んだ状態であり、また、サラの胎が不妊であるのを認めながらも、なお彼の信仰は弱らなかった。彼は、神の約束を不信仰のゆえに疑うようなことはせず、かえって信仰によって強められ、栄光を神に帰し、神はその約束されたことを、また成就することができると確信した(ローマ4:18-21)。 信仰が試みられるとき、忍耐を要する。そしてこの忍耐こそ、私たちの信仰生涯を完成するものである(ヤコブ1:3-4)。 |
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