本日の礼拝説教要旨 (2008/1/6)

 「荒野で叫ぶ声」イザヤ40:1-5 ヨハネ1:19-28           鎌野 善三師

 主イエス・キリストは、30歳になられた頃に福音の宣教を始められました。しかしその前に、主の親戚でもあったヨハネが、荒野で「悔い改めのバプテスマ」を民衆に授けていました。彼は、主の宣教の前に、その道を備えた「荒野で叫ぶ声」だったのです。

 一、キリストでない者
 ヨハネは祭司の息子でしたが、エルサレム神殿に留まらず、荒野で人々に直接神の言葉を語っていました。彼のメッセージに引かれて、多くの民衆が彼のもとに集まってきました。彼を来たるべきメシヤ(ギリシャ語ではキリスト)だと思ったからです。エルサレムにいた宗教的指導者たちは、彼がどういう人物かを確認するために専門家を派遣しました。ヨハネは彼らに、自分は「キリスト」ではなく、単なる「声」だと証言します。彼は自分の立場をわきまえる謙遜な人でした。

 二、水でバプテスマを授ける者
 ヨハネは、当時異邦人がユダヤ教に改宗したときに授けられていたバプテスマを、ユダヤ人にも適用しました。それには、汚れを洗い落とす象徴的な意味があったからです。しかし、水の中に浸されるだけだったら、外側の汚れは洗われても、心の内の汚れを取り除くことはできません。彼はそれをよく承知し、「悔い改めにふさわしい実を結べ」と叫んでいました。今でも、バプテスマは重要な意義がありますが、それはクリスチャン生活の出発点であることを知って下さい。

 三、「中に立つ」お方を示す者
 ヨハネは自分の限界を知っていました。本当に必要なのは、たとい目に見えなくても、常に人の心の中にいてくださるお方であって、自分はその方の「くつのひもを解く値うち」もないと告白します。つまり奴隷以下だというのです。彼は、そのお方が来られることを期待していました。そして、その期待はすぐに実現します。現代でも、人の働きには限界があることを認めねばなりません。目に見えなくても常に共にいてくださる主イエスこそ、教会の中心なのです。

 私たちの教会は創立80周年を迎えました。しかしこの教会をこれまで支え、中心にいて下さったのは主イエスです。私たちは「声」となって、このお方を賛美し、伝えていく者となりましょう。

 

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