本日の礼拝説教要旨
「恵まれた人」 イザヤ7:11-14 ルカ1:26-38 鎌野 善三
イエス・キリストの誕生に際して、両親の存在は大きな意義がありました。特に母親は、「聖母マリヤ」とも言われます。しかし最も重要なのは、神が彼女を選び、御使いを遣わされたことです。御使いが彼女を「恵まれた人」と呼んだのはなぜでしょうか。
一、主が共におられる人
御使いの最初の「おめでとう」という言葉は、「喜べ」とも訳されます。それは、「主があなたとともにおられる」からでした。この時、マリヤは18歳前後だったと推測されますが、旧約聖書に出てくる多くの偉大な人物と同様、主が共におられることを信じていました。現代でも、「主が共におられる」と信じる人々を、主は貴く用いられます。主のお働きは、奉仕でも伝道でも、人間の力では決してできないからです。主が共におられるからできることを忘れてはなりません。
二、自分の弱さを認める人
御使いの言葉にマリヤはひどくとまどいました。何のことか全くわからなかったのです。さらに御使いは、「みごもって、男の子を産みます」とも告げます。結婚もしていない彼女が「どうしてそのようなことになりえましょう」と答えたのは当然です。主が共にいることを信じていたとしても、主のなされることに疑問がなくなるわけではありません。恵まれた人でも決して完全ではないのですが、疑問をそのまま主にお尋ねする姿勢をもっていることに留意しましょう。
三、み言葉に信頼する人
御使いは、聖霊の働きがあることや、親類のエリサベツが老年になって妊娠した実例を示し、「神にとって不可能なことは一つもありません」と宣告します。マリヤはそれをそのまま受け入れ、「おことばどおりこの身になりますように」と返事しました。これこそ、マリヤの偉大さです。これから様々な誤解や困難がおこることは目に見えていましたが、神のなさることに間違いはないと信じて、み言葉に信頼したのです。「恵まれた人」とはまさにこのような人でしょう。
私たちも「恵まれた人」になりたいと思います。たといまだ、全部を理解することができなくても、「主が共におられる」ことだけは信じて、弱いままでみ言葉に信頼しようではありませんか。
礼拝説教
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