本日の礼拝説教要旨 (2007/11/25)
「摂理とは何か」 創世記45:1-15 ローマ8:28-30 鎌野 善三
ヨセフの物語は逆転また逆転ですが、主の摂理の御手は貫通しています。彼は監獄に投げ込まれたゆえに王の夢を解くことになり、その結果、エジプトの総理大臣に就任するのです。そこへ、10人の兄たちが食糧を買うためにやってきて、彼の前にひれ伏しました。
一、隠されるもの
ヨセフが総理大臣になったとは、兄たちは夢にも思いませんでした。いえ、やってきたのが兄だとは、ヨセフの家臣や家族も全く知りませんでした。その後、ヨセフは兄たちに対して厳しい扱いをするのですが、その理由も彼らにはわかりませんでした。ヨセフは兄たちの心がどのように変わっているのかを確かめようとしていたのです。私たちの生涯にも、「なぜ?」と思えることがしばしばおきますが、実は神の摂理がそこに隠されていることを知らねばなりません。
二、現されるもの
しかし、隠されたことの意味が現される時がいつか来ます。ヨセフ自身がそれを告白したのです。兄たちはしばらくあっけにとられて、茫然自失の状態だったでしょう。しかも、ヨセフは兄たちの悪を指摘することなく、「私をここに遣わしたのは、神なのです」と、神の偉大な摂理を彼らに伝えました。兄たちの意地悪が、かえって彼らを救ったのです。イエス・キリストの生涯も、人から苦しめられながらも、それが人類の救いとなったことと似ています。
三、益となるもの
ヨセフは兄たちに、エジプトで最も牧草の豊かなゴシェンの地に移住するように勧めます。このことが、一つの家族を偉大な民族にするきっかけになるとはだれも考えなかったでしょう。神の摂理は、万事を益となさるために、神が綿密な計画をたててそなえておられることなのです。しかし摂理が実現するためには、ヨセフの苦難が必要でした。私たちが経験する苦難も、神がすべてを益とするために備えておられることだと気付くなら、かえって喜びになるでしょう。
現在でも、主の摂理には隠されたところが多くあります。しかし、主が再びおいでになる時、それらの意味がわかるのです。その日まで、「すべてが益となる」ことを信じて歩もうではありませんか
礼拝説教
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