本日の礼拝説教要旨

 「祝福の源」  創世記25:19-34 ローマ9:11-16          鎌野 善三

 アブラハム・イサク・ヤコブは、イスラエル民族の先祖なので、「族長」と言われています。しかし彼らは単に一つの民族の先祖ではなく、キリストを救い主と信じる者たちの「父」であり、私たちの祝福の源となったのです。ヤコブもその祝福の源でした。

 一、神の選び
 イサクは結婚後20年目にして、やっと子どもが与えられました。しかも妻のお腹には双子が宿っていたのです。妻が祈ったとき、主は「兄が弟に仕える」と言われました。当時の常識と異なります。まだ生まれる先に、主が選んでおられたのです。しかし、偶然にえらばれたのではありません。その後の深いご計画の中での出来事でした。神は、これ以後、この2人がどのように生きるかをご承知の上で選び、全人類を祝福する道を備えられたのです。

 二、親の評価
 二人の子どもに対する親の評価は異なっており、父親はエサウを、母親はヤコブを愛していました。正直な人間の姿でしょう。彼らの風貌と性格の違いは、将来を暗示しています。たとい親であっても、子どもたちを正確に評価することは難しいことです。親の期待が、子どもたちに重くのしかかる場合もあります。しかし、親がその子の将来を決めるのではありません。一人一人に与えられた賜物が、主のご計画の中で、どのように用いられるかが大切なのです。

 三、人の求め
 ヤコブが調理中に、腹をすかせたエサウが帰ってきました。兄は弟の2倍の遺産を受け継ぐことを知っていたヤコブは、作っていた食べ物と引き替えに、その長子の権利を自分のものにしました。エサウが食欲に負けて権利を軽視したことも問題ですが、ヤコブが物質的な祝福を必死に求めたことも大問題です。そのような生き方では、両人とも神の祝福の源にはなれるはずがありません。特にヤコブの試練の人生は、ここから始まることを忘れないで下さい。

 私たちは、神の祝福を周囲に伝える器です。主がそのように選んで下さっているゆえに、様々な試練を通して、それにふさわしい者と整えて下さるのです。主のお取り扱いを受け取りましょう。

礼拝説教

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