本日の礼拝説教要旨

 「救い主キリスト」  民数記6:22-27 ヘブル9:11-15     鎌野 善三

 イエス・キリストは、神のひとり子であり、わたしたちを罪から救うために人となり、身代わりとなって十字架にかかり、ただ一度、ご自身を完全な犠牲として神にささげ、あがないを成就されました。その復活は、永遠のいのちの保証です。天に昇られた主は、キリストの日に至るまで、わたしたちのためにとりなしておられます。
 わが教団の信仰告白の第三番目には、「キリスト論」が挙げられています。キリストがどのような方であったかを明確に告白することは、使徒信条とも共通して、キリスト教信仰の基盤なのです。

 一、人となられた方
 神は人が幸せに生きるために律法を与えられたのですが、現実にはそれを守ることができませんでした。そんな弱い人を救うために、神が最終的に取られたのは、神が人と同じようになることでした。神学用語ではこれを「受肉」と言います。キリストは、罪人の弱さを体験しつつも、罪人でも正しく生きることができることを示されました。キリストが人となられた神と認めることは、救いの第一歩です。

 二、十字架にかかられた方
 当時の大祭司は、人々の罪が赦されるために、身代わりとして羊や牛を殺していました。しかしキリストは、ご自分が十字架にかかって、人類の罪の身代わりとなってくださいました。これが「あがない」と言われることです。何の罪もない神の子だからこそ、過去現在未来のすべての人間の罪の身代わりになることができました。このことを信じる者の良心はきよめられ、新しく生きることができます。

 三、復活し昇天された方
 キリストが十字架で死なれた後、復活され、昇天されたことは、このお方が神の子であることの証明です。復活は、永遠のいのちがあることを保証しています。また、昇天された主は、救われても罪を犯しやすい私たちが「永遠の資産」を受け継ぐことがでいるように、今も私たちのためにとりなして下さっています。キリストなくして、私たちは神に受け入れられる者となることはできません。

 キリストは、生涯の最初から最後まで、私たちが寄り頼むべきお方です。このお方を、片時も忘れてはなりません。

礼拝説教

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