礼拝説教
本日の礼拝説教要旨 (2007/7/1)
「天地の創造」 創世記 1:1-25 ヘブル11:1-3
鎌野 善三
聖書の冒頭には、目に見える世界が偶然にできたのではないことが明記されています。目には見えないが全てを創造されたお方がおられ、その方が「神」と言われているのです。目に見える事物を研究する科学と、目に見えない方を信じる信仰とは、全く違った次元です。
一、神は全てのものを創造された
見える世界がどうやって始まったかは、科学では答えが出せません。目に見えないお方が創造したということは、信仰によって受け入れる以外に方法がないのです。「光よ。あれ」という命令は、すべてのエネルギーを生み出されたお方がいらっしゃることを宣言します。エネルギーがすべての物質の源であることは、現代物理学も認めていることです。この宇宙の広大さや、人間をはじめとする生物の多様性を研究するとき、不思議だなと思うことは当然でしょう。
二、神は秩序正しく創造された
①エネルギーの創造、②ガス状の物質の分離、③太陽系(地球)の創造と植物の生育、④地表の二酸化炭素ガスの薄まりと太陽/月の出現、⑤魚類と鳥類の創造、⑥哺乳類の創造という順序は、科学的に見ても決して荒唐無稽ではありません。ただ、これらが偶然の重なりでできたのではなく、神が秩序正しく創造したことを聖書は主張するのです。特に「種類に従って」という言葉に注目しましょう。例えば類人猿が人間になるという変化は、本当に偶然に生じるのでしょうか。
三、神は良いものを創造された
「神は見て、それをよしとされた」と何度も記されていることも見落としてはなりません。世界は確かにバランスをとれたものとして創造されました。どの植物も、どの動物も、互いに必要とされているのです。太陽と地球の距離も、海と陸のバランスも、大気の成分も、動植物の分布も、見事に調和が保たれています。しかし、ここ1世紀の間に、人間はこの調和を破壊してきたようです。神が創造された世界を、もっと尊重せねばなりません。
私たちは、見える世界が神によって創造されたと受け取りましょう。そのとき、この自然に対する畏敬の念も生まれてきますし、生きる意味も見いだすことができるのです。
[注意:当教会は、聖書に忠実な信仰に立つ教会です。ものみの塔(エホバの証人)、
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