礼拝説教

本日の礼拝説教要旨 (2007/6/24)

「信仰に生きる人」  出エジプト34:29-30 使徒6:8-15
                                              鎌野 善三

 聖書には信仰に生きた多くの人々が記録されていますが、ステパノもそういう人の一人でした。初代教会の最初の殉教者となった彼は、まさに主イエスと同じような歩みをしたのです。信仰に生きたステパノの生涯の特色が、この個所には次のように描かれています。

 一、聖霊の満たし

 ステパノは、初代教会の弱い立場にある人々を助けるために選ばれた「信仰と聖霊とに満ちた人」でした。キリスト教信仰は、主イエスと共に歩んでいくことによって深まっていきます。その結果、「恵みと力とに満ち」ることにもなるのです。彼は人々を助け、主イエスのように病気の人々を癒したのではないでしょうか。聖霊に満ちた人は、主イエスの思いをもって人々に仕えます。決して自分の信仰深さを誇ることなく、主のように罪人や病人の友となるのです。

 二、反対者の出現

 しかし、反対者はいつでも出てきます。主イエスの場合もそうでした。ステパノの反対者は、外国で奴隷となっていたのに、困難を克服して神殿のあるエルサレムに帰ってきた人々でした。彼らは、モーセの律法や神殿を重視する余り、ステパノが語る罪の赦しの福音を理解することができませんでした。ステパノと議論しても負けたので、その腹いせに彼を無実の罪に陥れようとしたのです。正しい行いを強調する人々は、人々を批判しやすくなることに注意せねばなりません。

 三、御使いの顔

 主イエスと同じように、宗教裁判をする議会に連れて行かれたステパノでしたが、彼の顔は御使いのように見えました。怒っている顔でも、悲しんでいる顔でもなかったのです。十戒を与えられた時のモーセの顔のように耀いていたのかもしれません。あるいは、主イエスご自身の顔のようだったかもしれません。いずれにせよ、彼はこのような状況でも、主を信頼していました。語るべき言葉は、御霊が与えてくださると信じていたからでしょう(マタイ10:19-20)。

 信仰に生きるとは、主イエスを常に思いつつ生きることです。たとい主イエスのように苦難を受けることがあっても、心配する必要はありません。聖霊が語る言葉もなす行動も示して下さるのですから。

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