4月1日
礼拝説教

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本日の礼拝説教要旨

 「昇天の目的」民数記6:22-27 ルカ24:50-53 
                                    鎌野 善三

 復活された主イエスは、40日の間、ご自分が生きておられることを明確に弟子たちに示した後、昇天されました。昇天は、主が神の子であることを証明する出来事でもありました。ルカは福音書の最後でこの事実を記します。昇天には3つの目的があると言えるでしょう。

 一、祝福を与えるため
 主は、オリブ山の麓にあるベタニヤに弟子たちを集め、犠牲を献げ終えた祭司がするように、手を上げて祝福されました。主は確かに、ご自分のからだを犠牲とされたのです。それのみならず、祝福される姿のままで昇天されました。そして、今もずっと、父なる神の右に座して、罪深い私たちのためにとりなして下さっています。全世界のすべての人々が、罪を悔い改めて救われるように祈っておられるのです。主の昇天の目的は、さばきではなく祝福であることを銘記しましょう。

 二、聖霊を遣わすため
 主が昇天されることは、聖霊が送られるためにどうしても必要なことでした。目に見える主イエスがおられるなら、弟子たちはつい主に頼ってしまいます。しかし主は、弟子たち全員と行動を共にすることはできません。聖霊は、目には見えないからこそ、弟子たちが全世界のどこに出て行っても、彼ら一人一人と共におられるのです。「福音書」は、目に見える主イエスの働きを記していますが、「使徒の働き」は、目に見えない聖霊の働きを記録しています。

 三、再臨を待望させるため
 主イエスが昇天された後に、弟子たちは非常な喜びを抱いてエルサレムに戻り、そこにある神殿で神をほめたたえていました。彼らは、使徒1:11で御使いが約束したように、主が再びおいでになるという確信をもっていたからです。確かに主の姿が見えなくなることは寂しいことではありました。だからこそ、再び会えるという期待が大きな喜びを彼らに与えたのです。私たちはどうでしょうか。主の再臨を喜びをもって待ち望んでいるでしょうか。

 主イエスの姿は、現在、私たちの目には見えません。しかし主は、天で執り成しの祈りをし、地で私たちの内に住み、将来必ずこの地上においでになります。神の国はその時に実現するのです。