本日の礼拝説教要旨
「もう一人の放蕩息子」イザヤ55:6-9 ルカ15:25-32
清水 百合
主イエスは、この譬え話を通して、父なる神がどのように私たちを愛されてるかを教えておられます。主はこれを、パリサイ人や律法学者達に対して語られました。彼らは、自分たちこそ神の事を最も良く理解しており、神のおっしゃるとおりの模範的生活をしているとプライドを持っていたゆえ、取税人や罪人たちをさげすんでいました。だから、彼らと一緒に食事をする主イエスを非難したのです。
兄に焦点をあてましょう。兄がすねたり、怒ったりするのは当然とも思われます。父は、好き勝手して帰って来た弟にはちやほやして、一生懸命言いつけを守り働いて来た自分には何もしてくれなかったからです。しかし、主は、二つのことを教えようとされました。
一つは、自分の行いを義とする高慢な態度を悔改めるべきことです。自分の正しさに頼る者は、この兄のように不平を言い、人の悪を咎め、怒り、妬み、不満を持ちながらクリスチャン生涯を送ります。
もう一つは、父なる神に対する愛のない仕え方を悔改めるべきことです。怒ってすねている兄を、父は雷を落としてしかりとばさず、宴会の主役である弟をその場に残してまで、兄と向かい合うためにわざわざ外に出て来てなだめました。「子よ」ということばに深い愛情があふれています。父は兄の事も、弟と同じ様に心から愛しておられます。いえ、弟以上に「いつも一緒に働いてくれる」この兄を、大きな信頼をもって愛して下さっていたのです。
それに比べて、兄はこれっぽっちも父を愛していませんでした。父を、厳しい、堅苦しい、恐ろしい人として、いやいや仕えていました。息子であるにもかかわらず、無慈悲な主人にこき使われる、奴隷のような惨めな気持ちで仕えていました。だから、どれだけ自分が父に守られておるか、また、どれだけ莫大な父の財産を共有しておるのかという「最高の幸せ」に気付かず、感謝する事ができませんでした。
愛されている子として、父なる神と親しく交わりましょう。神を敬いつつも、素直に子として甘えましょう。私たちは祈りによって甘えられます。父なる神は、私たちの人格を認めて、とても大切にして下さるゆえ、私たちに祈り求めて欲しいと切望しておられます。父の懐に飛び込まない、もう一人の放蕩息子であってはなりません。
3月11日
礼拝説教
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