本日の礼拝説教要旨

 「献金の原則」     詩篇112:5-10 コリント9:6-15

                                               鎌野 善三

 教会生活の中でも、献金は大切なことの一つです。献金は、供え物やお布施や会費のようなものではありません。旧約聖書の犠牲の動物とも違います。それは、私たちが神の愛の手の中に生きているという信仰から生まれる、感謝の行動なのです。

 一、豊かに蒔く

 当時、エルサレムの教会は窮乏していました。その援助のため、パウロは諸教会に呼びかけて献金を募ったのです。それは種まきのようなもので、いつか刈り取ることになると彼は訴えます。蒔く種は神が与えてくださいました。そして刈り取るのは小麦や米ではなく、「義の実」と記されている、神からの賜物です。豊かに蒔く人は、神からびっくりするような多くの霊的祝福を受けます。聖書が「聖霊の実」と言う、人格的な実を刈り取ることができるのです。

 二、喜んで与える

 献金は、いやいやながら、強いられてするものであってはなりません。額の多少にかかわらず、喜んで献げることが大切です。献金をしたくでもできない人もいます。与えられたから、献金もできるのです。献金に喜びと感じる人は、すべてが与えられたものだと受けとめます。そのときこそ、分かち合う喜びが生まれてくるのです。どうか、この喜びを体験してください。クリスチャン人生は、「常に喜び、絶えず祈り、すべてのことを感謝する」ことにほかなりません。

 三、神に感謝する

 喜んで献げる人の姿は、神に対する感謝を生み出します。クリスチャンにとっては、地震などの被災者や飢餓に苦しむ人々への募金は、単に人を助けるだけのことではなく、そうする思いを与えてくださる神への感謝ともなります。「福音の告白に対して従順」ならば、苦しむ人々に対する援助は、神が求めておられることだとわかるはずです。援助をされた人々も神に感謝し、また助けてくれた人を慕うようにもなります。平和な世界はこのようにして実現するのです。

 主イエスは、私たちの罪を赦すためにご自分の命を献げてくださいました。この偉大な賜物を覚えるなら、私たちも自分に委ねられたものを喜んで献げることができるのではないでしょうか。

2月18日
礼拝説教

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